▼泥炭層から出た土偶
亀ヶ岡遺跡は「甕が出土する丘」が名の由来とされ、1622年に弘前藩主の津軽信枚が城を築こうとした際にも土器が掘り出された。江戸時代には出土品が「亀ヶ岡物」と呼ばれて好事家に売られ、オランダにまで渡ったものもある。
代表的な遮光器土偶は、明治19〜20年(1886〜87年)ごろ、亀ヶ岡の水田の泥炭層から見つかった。高さ34.2センチで左足が欠けており、国の重要文化財として東京国立博物館が所蔵している。遺跡は1944年に国の史跡となり、2021年には「北海道・北東北の縄文遺跡群」として世界文化遺産に登録された。
▼「遮光器」という名前
名付けたのは人類学者の坪井正五郎である。ロンドン留学中に大英博物館で、イヌイットなど北方の人々が雪の照り返しを防ぐためにかける遮光器を見て、この土偶の目と似ていることに気づき、1891年に遮光器をかけた姿ではないかと考えた。
ただし早くから、遮光器ではなく目を極端に誇張して表したものだという反論があった。現在では、当時はやった目の表し方と考えられている。
▼宇宙服説の誕生
1962年9月、UFO団体の宇宙友好協会(CBA)の会員・鷲尾功が、機関誌『空飛ぶ円盤ニュース』に「古代日本にも気密服? じょうもんスーツの謎」という論考を載せた。同じ年、ソ連のSF作家アレクサンドル・カザンツェフも雑誌『アガニョーク(オガニョーク)』で、遮光器土偶は宇宙人の姿を写したものだと論じた。
カザンツェフには、CBAの関係者が亀ヶ岡出土の土偶の写真を送っていたという。1968年にはスイスのエーリッヒ・フォン・デニケンも遮光器土偶を宇宙人の像として紹介し、説は世界に広まった。
正体をめぐる諸説
- 壱
目の誇張表現説(有力)
大きな目は遮光器ではなく、縄文時代晩期に流行した目の表し方だとする考古学の見方。
- 弐
遮光器説
坪井正五郎が唱えた、雪の照り返しを防ぐ遮光器をかけた姿だとする説。
- 参
宇宙服を着た宇宙人説
ゴーグルやヘルメット、ふくらんだ服は宇宙服を表しており、古代に来た宇宙人を写したとする古代宇宙飛行士説。
