▼土佐沖で網にかかった人魚
言い伝えでは、このミイラは元文年間(1736〜1740年)に土佐(高知)沖で漁網にかかり、漁師が大阪へ運んで売ったものだという。備後福山の家が買い求めて家宝とし、その後別の家へ渡ったとされる。
この来歴はミイラに添えられた書付に記されたもので、書かれた人名などに確かな裏付けは得られていない。日本各地には人魚の肉を食べて不老長寿になった八百比丘尼の伝説もあり、人魚は古くから人々の想像をかきたててきた。
▼1年がかりの科学調査
2022年2月2日、倉敷芸術科学大学、倉敷市立自然史博物館、岡山民俗学会などによる研究が始まった。X線やCTによる撮影、顕微鏡での観察、DNA分析、放射性炭素年代測定などが行われた。
2023年2月7日の最終報告によれば、下半身はニベ科の魚類の皮で覆われていた。上半身は布や紙、綿の詰め物と漆喰のような物質を土台に、重ねた紙とフグの皮で形作られていた。
▼造られた人魚
歯は肉食性の魚類の顎のもので、爪には動物の角質が使われていた。特別な防腐処理はされておらず、DNAは検出されなかった。
放射性炭素年代測定などから、ミイラは1800年代後半ごろに作られた可能性が高いとされた。言い伝えの元文年間より新しい。それでも、人の手で精巧に作られた人魚もまた、信仰と歴史を伝える貴重な資料である。
正体をめぐる諸説
- 壱
造形物説
調査で示されたとおり、魚の皮や紙などを組み合わせて人の手で作られたものとする見方。
- 弐
見世物・土産物説
江戸から明治にかけて流行した見世物や輸出向けの細工物として作られたものが、寺に伝わったとする見方。
- 参
人魚実在説
人魚は実在し、このミイラもその亡骸だとするオカルト的な説。調査結果とは合わない。
