▼黒い石をどけて描いた絵
地上絵は、紀元前後から数百年にかけてこの地で栄えたナスカ文化の人々が描いたと考えられている。地表を覆う黒っぽい石を取り除き、下の明るい地面を出して線を描いた。雨がほとんど降らない気候のおかげで、線は2000年近くも残ってきた。
20世紀前半、上空を飛ぶ飛行機から図形がはっきりと見えたことで、その全体像が知られるようになった。アメリカの研究者ポール・コソック、続いてドイツ出身のマリア・ライヒェが長年にわたって調査と保護に力を注ぎ、1994年には「ナスカとパルパの地上絵」としてユネスコの世界遺産に登録された。
▼宇宙人の滑走路?
1968年、スイスの作家エーリッヒ・フォン・デニケンは、地上絵の直線は宇宙から来た者たちの滑走路だったのではないかと唱え、世界的な話題を呼んだ。空からしか見えない絵は、天の神々への合図だったのだ──と。
ただし学界では、地面はやわらかく滑走路には向かないこと、地上の人々でも縄や杭を使えば大きな図形を正確に描けることなどから、この説は退けられている。
▼AIが見つけた新しい地上絵
日本の山形大学は2000年代から現地で調査を続け、多くの新しい地上絵を発見してきた。2024年には、IBMの研究者と共同でAIに航空写真を分析させ、わずか半年の現地調査で303点もの具象的な地上絵を新たに確認したと発表した。これまで知られていた数をほぼ倍にする成果だった。
新しく見つかったものの多くは、小道のそばに描かれた小さな絵だった。研究チームは、人々が道を歩きながら目にするための絵と、儀式の場として使われた大きな線とで、役割が違っていた可能性を指摘している。
正体をめぐる諸説
- 壱
儀礼・水の祈り説(有力)
雨乞いや豊穣を願う儀式で、線の上を歩いたり集まったりしたとする説。乾いた土地で水は何より大切だった。
- 弐
天文カレンダー説
一部の直線が夏至や冬至の太陽の方角を指し、農耕の暦として使われたとする説。コソックやライヒェが唱えた。
- 参
宇宙人の滑走路説
直線は異星人の宇宙船が離着陸するための滑走路だったとする説。科学的な裏付けはない。
