▼火山の斜面で生まれた石像
島にはおよそ900体以上のモアイがあるとされ、その大半は島の東部にある火山ラノ・ララクの凝灰岩から彫り出された。石切り場には、彫りかけのまま横たわる像や、斜面に埋もれて頭だけを出す像が数多く残り、まるで作業の途中で人々が突然いなくなったかのようだ。
完成したモアイは、海沿いに築かれた「アフ」と呼ばれる石の祭壇に、多くは海に背を向け、村を見守るように立てられた。祖先の力を宿す像だったと考えられている。
▼復活祭の日の来訪者
1722年の復活祭(イースター)の日、オランダの航海者ヤーコプ・ロッヘフェーンがこの島に到達し、「イースター島」の名が生まれた。その後、島の人々はヨーロッパから持ち込まれた病気や奴隷狩りによって大きな打撃を受け、モアイもやがてすべて倒された状態になった。
現在立っているモアイの多くは、20世紀に復元されたものだ。最大の祭壇アフ・トンガリキの15体は、1960年のチリ地震による津波で押し流されたが、1990年代に日本のクレーン会社タダノの協力などで立て直された。島の国立公園は1995年に世界遺産に登録されている。
▼モアイは歩いた
重いもので数十トンにもなる像を、車輪も大型の家畜もない島でどう運んだのか。島には「モアイは自分で歩いた」という言い伝えがある。
2012年、考古学者のテリー・ハントとカール・リポは、像を立てたまま縄で左右に揺らし、少しずつ前へ進める実験を行い、18人ほどで約4トンの複製を100メートル動かしてみせた。言い伝えの「歩くモアイ」は、実際の運び方を語ったものだったのかもしれない。
正体をめぐる諸説
- 壱
縄で歩かせた説(有力)
立てた像を縄で左右に揺らしながら前に進めたとする説。実験で再現され、言い伝えとも合う。
- 弐
そりと丸太で運んだ説
像を寝かせてそりに載せ、丸太の上を引いたとする説。森林の減少と結びつけて語られることもある。
- 参
霊力(マナ)で動いた説
島の伝承では、王や神官のマナ(霊力)によってモアイが自ら歩いたと語られる。
