▼グプタ朝の柱
鉄柱は高さ約7.2メートル、直径約41センチで、重さは数トンに及ぶ。刻まれたサンスクリット語の銘文から、4〜5世紀のグプタ朝の王チャンドラグプタ2世の時代のものと考えられている。
銘文には「ヴィシュヌの足跡の丘」に立てられたとあり、もとは別の場所、現在のマディヤ・プラデーシュ州のウダヤギリにあったとする見方がある。デリーへ移された時期や経緯については、いくつかの説がある。
▼錆びない理由
インド工科大学カーンプル校の冶金学者R・バラスブラマニアムらは、この鉄に含まれるリンの多さに注目した。乾いたり湿ったりを繰り返すうちに、鉄の表面にリンを含む薄く緻密な皮膜ができ、それがさらなる錆を防いでいるという。
2002年に発表された研究では、1600年かけて育った皮膜の厚さは、わずか20分の1ミリほどとされた。古代の鍛冶師の製鉄法が、偶然か知恵か、この不思議な性質を生んだのである。
▼柵に囲まれた柱
柱には、背を向けて両腕を回し、手が届けば願いがかなうという言い伝えがあった。しかし多くの人が触れたことで下の部分が傷んだため、1997年に柵が設けられた。
柱の上の方には、18世紀に大砲の弾が当たったとされるくぼみも残る。1993年、クトゥブ・ミナールとその建造物群は世界遺産に登録された。
正体をめぐる諸説
- 壱
リンを含む保護皮膜説(有力)
鉄に多く含まれるリンが、乾湿の繰り返しの中で表面に緻密な皮膜を作り、錆を防いでいるとする研究による説明。
- 弐
乾いた気候の助け説
デリーの比較的乾いた気候も、錆の進みを遅くしているとする見方。
- 参
失われた超技術説
古代には現代でも再現が難しい製鉄の技術があった、あるいは外から伝えられたとするオカルト的な説。
