▼浜に流れ着いた丸い舟
記録によれば、舟が漂着したのは享和3年2月22日、常陸国の「はらやどり」という浜だった。舟は香合のように丸く、長さは3間あまり。ガラス張りの窓を松脂で塗り固め、底には鉄の板が筋状に張られていたという。
中にいた女は眉と髪が赤く、白く長い入れ髪をしていた。2尺四方の箱を抱えて決して離そうとせず、言葉も通じなかった。舟の内側には、誰にも読めない文字が書かれていたと記されている。
▼随筆に残された記録
この話は、曲亭馬琴らの『兎園小説』(1825年)に「虚舟の蛮女」として図とともに収められた。屋代弘賢の『弘賢随筆』、長橋亦次郎の『梅の塵』(1844年)など、ほかにも複数の史料に記録が残る。
記録の多くは、役所に届け出ると手間と費用がかかるため、村人たちが女を元のように舟に乗せ、沖へ流してしまったと結んでいる。
▼浜の場所が見つかった
長らく「はらやどり」がどこかは分からなかった。2014年、岐阜大学名誉教授の田中嘉津夫が、ある個人の所蔵文書に「常陸原舎り濱」と書かれているのを確認し、現在の茨城県神栖市波崎の舎利浜にあたるとされた。
舟に描かれた謎の文字については、研究者の佐藤秀樹が、西洋の錬金術の記号に似ているとの説を唱えている。
正体をめぐる諸説
- 壱
円盤漂着説
うつろ舟は地球外から来た乗り物で、女は異星の存在だったとする説。丸い形とガラス窓が根拠に挙げられる。
- 弐
異国船漂着説
外国の小舟が嵐などで流され、異国の女性が乗っていたのを、見慣れない人々が奇妙に書き留めたとする見方。
- 参
創作・うわさ説
古くからある「うつぼ舟」の説話をもとに、江戸の文人たちが面白い話として書き広めたとする見方。
