▼「すばらしいものが見える」
1922年11月4日、考古学者ハワード・カーターの発掘隊は、王家の谷で岩を刻んだ階段の一段目を見つけた。知らせを受けた出資者のカーナーヴォン卿が駆けつけ、11月26日、封印された入口の奥をのぞいたカーターは「すばらしいものが見える」と答えたと伝えられる。
墓はKV62と番号づけられ、ほぼ手つかずで見つかった唯一の王墓として、黄金のマスクをはじめ5398点の品が記録された。1923年2月16日には、王の棺が眠る玄室が公式に開かれた。
▼出資者の死と「呪い」
1923年4月5日、カーナーヴォン卿はカイロで亡くなった。蚊に刺された跡をひげそりで傷つけたことから感染症が起き、肺炎を併発したためとされる。
その少し前、作家マリー・コレリは墓を荒らす者には重い罰が下ると新聞に書いており、卿の死はその「予言」と結びつけられた。作家アーサー・コナン・ドイルも、王墓を守るために神官が生み出した霊の仕業ではないかと語った。だが、墓に呪いの言葉が刻まれていたという事実はない。
▼数字が語ること
メトロポリタン美術館のエジプト学者ハーバート・ウィンロックは、墓の開封に立ち会った58人のうち、12年以内に亡くなったのは8人にすぎないと数えた。呪いを受けたはずの多くの人は、その後も長く生きた。
発掘を率いたカーター自身も、墓を開いてから16年以上たった1939年に亡くなっている。呪いの物語は、偶然の死と新聞の過熱報道が生んだものと考えられている。
正体をめぐる諸説
- 壱
偶然と報道の過熱説(有力)
関係者の死の多くは年齢や病気によるもので、呪いは新聞が売れる物語として広めたものだとする見方。
- 弐
墓の中のカビ・細菌説
密閉された墓の中のカビや細菌が、体の弱った人に害を与えたのではないかとする説。決め手となる証拠はない。
- 参
王墓を守る呪い説
眠りを妨げられたファラオの怒り、あるいは神官が仕掛けた霊的な守りが、侵入者に死をもたらしたとするオカルト的な説。
