超常アトラス
ツタンカーメンの呪いのイメージNo.102
霊界霊能・異界

ツタンカーメンの呪い

ファラオの呪い

王の眠りを妨げる者に死を! 黄金の墓を開いた5か月後、発掘の出資者が急死した

1922年11月、エジプトの王家の谷で、少年王ツタンカーメンの墓がほぼ手つかずのまま見つかった。翌年4月、発掘を支えたカーナーヴォン卿が亡くなると、新聞は一斉に「ファラオの呪い」を書き立てた。

現場
エジプト ルクソール 王家の谷(KV62)
初出
1922年
怪奇度
★★★★★

▼「すばらしいものが見える」

1922年11月4日、考古学者ハワード・カーターの発掘隊は、王家の谷で岩を刻んだ階段の一段目を見つけた。知らせを受けた出資者のカーナーヴォン卿が駆けつけ、11月26日、封印された入口の奥をのぞいたカーターは「すばらしいものが見える」と答えたと伝えられる。

墓はKV62と番号づけられ、ほぼ手つかずで見つかった唯一の王墓として、黄金のマスクをはじめ5398点の品が記録された。1923年2月16日には、王の棺が眠る玄室が公式に開かれた。

▼出資者の死と「呪い」

1923年4月5日、カーナーヴォン卿はカイロで亡くなった。蚊に刺された跡をひげそりで傷つけたことから感染症が起き、肺炎を併発したためとされる。

その少し前、作家マリー・コレリは墓を荒らす者には重い罰が下ると新聞に書いており、卿の死はその「予言」と結びつけられた。作家アーサー・コナン・ドイルも、王墓を守るために神官が生み出した霊の仕業ではないかと語った。だが、墓に呪いの言葉が刻まれていたという事実はない。

▼数字が語ること

メトロポリタン美術館のエジプト学者ハーバート・ウィンロックは、墓の開封に立ち会った58人のうち、12年以内に亡くなったのは8人にすぎないと数えた。呪いを受けたはずの多くの人は、その後も長く生きた。

発掘を率いたカーター自身も、墓を開いてから16年以上たった1939年に亡くなっている。呪いの物語は、偶然の死と新聞の過熱報道が生んだものと考えられている。

正体をめぐる諸説

  • 壱

    偶然と報道の過熱説(有力)

    関係者の死の多くは年齢や病気によるもので、呪いは新聞が売れる物語として広めたものだとする見方。

  • 弐

    墓の中のカビ・細菌説

    密閉された墓の中のカビや細菌が、体の弱った人に害を与えたのではないかとする説。決め手となる証拠はない。

  • 参

    王墓を守る呪い説

    眠りを妨げられたファラオの怒り、あるいは神官が仕掛けた霊的な守りが、侵入者に死をもたらしたとするオカルト的な説。