▼「アララトの山々」
『創世記』では、神の命を受けたノアが方舟を造り、家族と生き物を乗せて大洪水を生き延びる。水が引いた後、方舟は「アララトの山々」にとどまったと記されている。
研究者は、この「アララト」は本来、古代のウラルトゥの地方一帯を指していたと考えている。それでも標高5137メートルのトルコ最高峰アララト山は、11世紀ごろから方舟の山と結びつけられ、アルメニアの人々にとっても国の象徴となっている。
▼航空写真に写った舟の形
1959年10月、トルコ空軍の大尉イルハン・ドゥルピナルは、地図作りのための航空写真の中に、舟のような形をした地形を見つけた。場所はアララト山の山頂から南へ約29キロメートル、標高2000メートルほどの斜面である。
翌1960年には調査隊が現地を訪れて掘ったが、人の造った物ではなく自然の地形だと結論した。それでも1977年以降、アメリカのロン・ワイアットらがこの地形を方舟の跡だと主張し、長さを約164メートルと測ったと発表して注目を集めた。
▼地質学者の結論
地質学者たちは、ドゥルピナル遺跡は堆積した地層が浸食されてできた天然の地形で、たまたま舟に似ているだけだと結論している。近くにある「錨石」とされた石も、その土地の火山岩だった。
方舟の物語は、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教で大切に語り継がれてきた信仰の物語でもある。山の上に舟の痕跡を探す試みは、いまも形を変えて続いている。
正体をめぐる諸説
- 壱
自然の地形説(定説)
ドゥルピナル遺跡は、地層の浸食でできた舟形の天然の地形にすぎないとする地質学者の結論。
- 弐
方舟の化石説
舟形の地形こそ、石に変わった方舟の船体の跡だとする説。科学的な裏づけはない。
- 参
山頂の氷の下に眠る説
方舟はアララト山の山頂付近の氷河の下に、いまも埋もれているとする説。
