▼景行天皇を導いた火
『日本書紀』や『肥後国風土記』には、九州に遠征した景行天皇の船が、暗い海で道に迷った話が載る。前方に見えた火を目指して進むと、無事に岸へ着くことができた。
ところが、その火を灯した者は誰もいなかった。人の灯した火ではない、知られぬ火、ということから「不知火」の名が生まれ、この地を火の国と呼ぶようになったと伝えられる。
▼一つの火が数百に
言い伝えによれば、不知火は風の弱い新月の夜に現れる。沖に一つか二つの「親火」が灯り、それが左右に分かれて増え、ついには数百から数千の火が4〜8キロメートルにわたって並ぶという。
最もよく見えるのは引き潮が最大になる午前3時ごろとされ、宇城市不知火町の永尾剱神社は昔から見物の名所として知られる。
▼蜃気楼の一種と分かる
大正時代以降の研究で、不知火は蜃気楼の一種と考えられるようになった。漁船の漁火が、干潟や海面の温度の差によって生じる光の異常な屈折で、分かれて広がって見えるという説明が有力である。
しかし干潟の埋め立てや夜の明かり、海の環境の変化によって、不知火はほとんど見られなくなった。2024年には地元の高校の科学部が、漁船の明かりが横に分かれて広がる様子を撮影し、1988年以来36年ぶりの撮影成功として話題になった。
正体をめぐる諸説
- 壱
漁火の蜃気楼説(有力)
漁船の漁火が、干潟と海面の温度差による光の屈折で横に分かれ、無数の火に見えるとする説明。
- 弐
夜光生物説
海の発光生物が光っているのではないかとする、かつての説。
- 参
龍神の灯火説
海の神や龍神が灯す火だとする、古くからの言い伝え。
