▼少女たちの発作
1692年2月、セイラム村の牧師サミュエル・パリスの家で、9歳の娘ベティと11歳のアビゲイル・ウィリアムズが激しい発作を起こした。叫び、体をよじり、針で刺されたと訴える症状は、やがてほかの少女たちにも広がった。
人々はこれを魔術のしわざと考え、最初にサラ・グッド、サラ・オズボーン、そしてパリス家で働かされていた西インド諸島出身の女性ティチューバが逮捕された。ティチューバの「自白」は、強いられたものだった可能性があると歴史家は見ている。
▼特別法廷と処刑
告発は信仰深く尊敬されていた住民にまで広がり、1692年5月、総督ウィリアム・フィップスは特別法廷を設けた。法廷は、夢や幻に被害者の霊が現れたという「霊的証拠」まで証拠として認めた。
6月10日のブリジット・ビショップに始まり、9月22日までに19人が絞首刑となった。罪状の認否を拒んだジャイルズ・コーリーは重しをかけられて亡くなり、少なくとも5人が獄中で命を落としている。
▼過ちを認めるまで
1692年10月、フィップスは処刑を止め、翌年の裁判では霊的証拠が認められなくなった。1711年には植民地が有罪判決を取り消し、遺族に償いを行った。
その後も名誉回復は続き、2022年には最後まで残っていた一人の判決も取り消された。1992年には300年を記念する追悼碑が、2017年には処刑地と確かめられたプロクターズ・レッジに慰霊の場が設けられ、犠牲者の名が刻まれている。
正体をめぐる諸説
- 壱
集団の恐怖と社会の対立説(有力)
村の土地争いや派閥の対立、先住民との戦争への不安などが重なり、告発が連鎖したとする見方。
- 弐
麦角菌中毒説
ライ麦に付くカビ(麦角菌)の毒で幻覚やけいれんが起きたとする説。1976年に唱えられたが、症状や時期が合わないという反論も多い。
- 参
本物の魔術説
当時の人々が信じたように、実際に魔術が行われていたとする説。現代の歴史学では支持されていない。
