▼二度目の入植
ウォルター・ローリーの後援で、1585年にラルフ・レーンの率いる約108人がロアノーク島に入植したが、食料不足や先住民との対立から翌1586年に引き揚げた。
1587年、ジョン・ホワイトを総督とする約115人が改めて入植した。8月18日にはホワイトの孫ヴァージニア・デアが生まれ、新大陸で生まれた最初のイギリス人の子とされる。ホワイトは補給を求めてイギリスへ戻った。
▼CROATOAN
ホワイトがロアノーク島に戻れたのは1590年8月だった。集落は柵で囲まれたまま無人となり、柱に「CROATOAN」、近くの木に「CRO」の文字が刻まれていた。
ホワイトは、入植者たちが南のクロアトアン島(現在のハッテラス島周辺)へ移ったしるしと考えたが、悪天候などで捜索はかなわず、入植者たちの行方は分からないままになった。
▼今も続く調査
1701年、探検家ジョン・ローソンは、ハッテラス島の人々が祖先にヨーロッパ人がいると語ったと記している。近年の研究では、入植者たちが周辺の先住民の集団に加わった可能性が有力とされる。
一方、ホワイトの地図に隠された印から、内陸の「サイトX」に移ったとする考古学の研究もある。海岸の浸食で遺構の多くは失われたとみられ、決定的な証拠は見つかっていない。入植地の跡は1941年にフォート・ローリー国定史跡となり、1937年から野外劇『失われた植民地』が上演されている。
正体をめぐる諸説
- 壱
先住民への合流説(有力)
入植者がクロアトアン(ハッテラス)の人々など周辺の先住民の集団に加わり、暮らしを共にしたとする説。
- 弐
内陸への移住説
ホワイトの地図の印などから、入植者の一部が内陸の「サイトX」へ移ったとする説。
- 参
全滅説
飢えや病気、争いなどで入植者が命を落としたとする説。決め手となる遺構は見つかっていない。
