超常アトラス
モヘンジョダロのイメージNo.104
古代超古代文明

モヘンジョダロ

死者の丘

4500年前の計画都市は、なぜ消えたのか? 「古代核戦争で滅んだ」という説の真相

パキスタン南部のインダス川のほとりに、紀元前2500年ごろに築かれた計画都市の遺跡がある。碁盤目の街路と下水道を備えたこの都はやがて捨てられ、その終わり方は「古代核戦争」というオカルト説まで生んだ。

現場
パキスタン シンド州 ラルカナ県 モヘンジョダロ
初出
紀元前2500年ごろ
怪奇度
★★★★★

▼「死者の丘」の下の都

1919年から1920年にかけて、インド考古調査局のR・D・バネルジーがこの地を訪れ、遺跡が非常に古いことに気づいた。1924年からはカシナート・ディクシト、1925年からはジョン・マーシャルのもとで大規模な発掘が進められた。

モヘンジョダロという名は、シンド語で「死者の丘」を意味する。遺跡は紀元前2500年ごろに築かれ、古代エジプトやメソポタミアと同じ時代に栄えた、インダス文明の最大級の都市だった。

▼下水道と大浴場

街は焼きレンガで造られ、整然とした街路に沿って家が並び、700を超える井戸と排水の設備を備えていた。中心部の「大浴場」は、儀式に使われたとも考えられている。

最盛期には少なくとも4万人が暮らしていたと推定される。しかし紀元前1700年ごろには都市は捨てられ、その理由はいまもはっきりしない。遺跡は1980年、南アジアで最初の世界遺産のひとつに登録された。

▼「古代核戦争説」の真相

1979年、デヴィッド・ダベンポートとイタリアの記者エットーレ・ヴィンチェンティは著書で、遺跡には核爆発の中心があり、街路に倒れた人骨は一瞬で死んだ人々だと主張した。この話は、のちに「古代核戦争」の証拠として雑誌や番組で繰り返し語られた。

しかし、爆発の跡となるクレーターや、高い放射線を確かめた学術的な報告はない。人骨は異なる地層、つまり異なる時代のものと指摘されており、核戦争説に根拠はない。都市が衰えた理由としては、川の流れの変化や気候の変動などが考えられている。

正体をめぐる諸説

  • 壱

    環境の変化による衰退説(有力)

    インダス川の流れの変化や気候の変動、交易の衰えなどが重なり、人々が都市を離れていったとする見方。

  • 弐

    外部からの侵入説

    外から来た人々の侵入で滅んだとする、かつての説。人骨の再検討などから、現在は支持されていない。

  • 参

    古代核戦争説

    古代に核兵器が使われ、都市が一瞬で滅んだとするオカルト的な説。クレーターも放射線の記録もなく、根拠はない。