▼大宰府への左遷
845年に生まれた菅原道真は、宇多天皇に重く用いられ、899年に右大臣となった。しかし901年、左大臣・藤原時平らの讒言により大宰府へ左遷される。昌泰の変と呼ばれる事件である。
道真は都へ戻ることなく、903年に大宰府で亡くなり、安楽寺に葬られた。この墓所の地に、のちの太宰府天満宮が築かれていく。
▼相次ぐ死と清涼殿の雷
道真の死後、都では不吉な出来事が続いた。909年に藤原時平が病死し、923年には醍醐天皇の皇太子・保明親王が亡くなる。朝廷は同じ923年、道真を右大臣に戻し、位を贈って霊をなだめようとした。
そして930年6月26日(延長8年)、宮中の清涼殿に雷が落ちた。大納言の藤原清貫らが命を落とし、これを目の当たりにした醍醐天皇も体調を崩して、3か月後に崩御した。清貫はかつて道真の動向を見張る役目を負っていたことから、道真の怨霊のしわざだという噂が広まった。
▼怨霊から天神さまへ
942年、右京七条に住む多治比文子という少女に、北野に自分を祀れという道真の託宣が下ったと伝えられる。これを受けて947年、北野の地に社殿が築かれた。現在の北野天満宮の始まりである。
道真の霊は雷の神とも結びつき、「天満大自在天神」と呼ばれるようになった。993年には太政大臣の位が贈られている。恐るべき怨霊は、こうして学問の神「天神さま」として全国で祀られる存在になった。
正体をめぐる諸説
- 壱
御霊信仰説
非業の死を遂げた人の霊を祀ってなだめれば、祟りが守りの力に変わるとする、平安時代の御霊信仰の典型とする見方。
- 弐
政治的利用説
時平の一族と対立する勢力が、相次ぐ不幸を道真の祟りとして語り、政治の流れを変えるのに使ったとする説。
- 参
雷神結合説
清涼殿の落雷によって、道真の霊が古くからの雷神信仰と結びつき、天神として祀られるようになったとする見方。
