▼東へ飛んだ首
平将門は、10世紀の関東で勢力を広げ、自ら「新皇」を名乗った武将である。しかし940年、朝廷が差し向けた軍に討たれ、その首は京の都でさらされた。
伝説によれば、首は何か月たっても目を見開いたまま色を変えず、ある夜、故郷の東国をめざして空へ舞い上がった。そして力尽きて落ちたのが、この地だったという。人々は塚を築いて首を葬り、たびたび起こる災いを将門の祟りとして恐れた。
▼鎮魂の積み重ね
鎌倉時代の1307年、時宗の遊行上人・他阿真教が塚の上に板碑を建てて将門の霊を供養したと伝えられる。将門の霊は神田明神にも祀られ、江戸の総鎮守として町を守る神となった。
▼大蔵省を襲った「祟り」
1923年の関東大震災の後、塚の跡地に大蔵省の仮庁舎が建てられた。ほどなく1926年に大蔵大臣・早速整爾が亡くなり、ほかの関係者にも死や病が続いたことから、将門の祟りではないかとささやかれた。省は1928年に鎮魂祭を行い、庁舎は撤去されたという。
将門の没後1000年にあたる1940年には、大蔵省の庁舎が落雷による火災で焼け落ちた。戦後、塚を取り壊そうとした工事で事故が起き、計画が見直されたという話も語り継がれている。塚はいまも地元の保存会によって守られ、2020年から翌年にかけて大規模な改修が行われた。
正体をめぐる諸説
- 壱
怨霊信仰説
非業の死を遂げた将門の霊がいまも力を持ち、粗末に扱う者に災いをもたらすとする見方。
- 弐
偶然の符合説
震災後の混乱期に重なった死や事故を、人々が祟りの物語として結びつけたとする見方。
- 参
東国の守護神説
将門は朝廷に抗った関東の英雄として敬われ、怨霊ではなく土地を守る神になったとする見方。
