▼「ここだ、ここだ」
1935年8月、竹内巨麿が当時の戸来(へらい)村を訪れた。竹内は茨城県の宗教団体・天津教の教主で、自らの家に伝わるとする古文書『竹内文書』の持ち主だった。日本画家の鳥谷幡山に招かれて村に入った竹内は、笹に埋もれた二つの塚を前に、これこそキリストの墓だと断言したという。
▼竹内文書が語る「もう一つの生涯」
伝承によれば、キリストは21歳で日本に渡って12年間修行し、33歳で故国に戻って教えを説いた。しかし十字架にかけられたのは身代わりとなった弟イスキリであり、キリスト本人はひそかに日本へ逃れて戸来に住みつき、106歳で世を去ったという。
村の名「戸来」はヘブライの転訛であるとか、土地に伝わる盆踊り唄「ナニャドヤラ」はヘブライ語の歌だとかいう説も、のちに語られるようになった。
▼偽書の烙印と、村の祭り
『竹内文書』は、内容や用語に後世のものが多く含まれることから、学界では偽書とみなされている。1936年には竹内と信者らが不敬罪などの疑いで検挙され、「神宝」が押収される事件も起きた。
それでも伝説は村に根づいた。1956年の合併で新郷村となった後、1964年からは毎年6月に「キリスト祭」が開かれ、神主による神事と「ナニャドヤラ」の踊りが十字架の前で奉納される。1996年には資料館「キリストの里伝承館」も開館した。
正体をめぐる諸説
- 壱
偽書説(通説)
伝説の根拠となった『竹内文書』は近代に作られた偽書であり、キリスト来日の史実はないとする学界の見方。
- 弐
キリスト渡来説
竹内文書の記述どおり、キリストが日本に渡り戸来で生涯を終えたとする説。
- 参
失われた部族説
戸来の地名や唄、風習の一部に古代イスラエルの痕跡があるとする、日ユ同祖論と結びついた説。
