▼南部アフリカ最大の石の都
グレート・ジンバブエは、11世紀に築造が始まり15世紀まで造営が続いた都市の遺跡で、13世紀からはグレート・ジンバブエ王国の都だった。遺跡は約7平方キロメートルに広がり、植民地化以前の南部アフリカで最大の石造建築である。
最も大きな「大囲壁」の壁は高さ約11メートル、長さ約250メートルに及び、石はモルタルを使わずに積まれている。遺跡からは石鹸石を彫った8羽の鳥の像が見つかっている。
▼「外来者が築いた」という説
1871年に遺跡を訪れたドイツの探検家カール・マウフは、地元の人々が築いた可能性を初めから退け、聖書のシバの女王の宮殿をまねたものだと考えた。1891年には、セシル・ローズの後援で発掘したセオドア・ベントが、フェニキア人やアラブ人の建造説を唱えた。
しかし1905年から翌年にかけて最初の学術的な発掘を行ったデヴィッド・ランドール=マキーヴァーは、遺跡はショナの人々の祖先が築いたと結論した。1929年にはガートルード・ケイトン=トンプソンも、出土品はすべてアフリカの人々による建造と矛盾しないと発表した。
▼国の名になった遺跡
それでも白人支配下のローデシア政府は、遺跡をアフリカの人々が築いたと公に語ることを考古学者に控えさせたとされる。誤った説は、遺跡の謎というより、支配を正当化する道具だったのである。
1980年に独立した国は、この遺跡にちなんで「ジンバブエ」を国名とし、石の鳥を国旗に描いて国の象徴とした。遺跡は1986年に世界遺産に登録されている。
正体をめぐる諸説
- 壱
ショナの祖先による建造(定説)
発掘の成果から、遺跡は現在もこの地に暮らすショナの人々の祖先が築いたとする、考古学の定説。
- 弐
シバの女王の宮殿説(否定)
聖書のシバの女王やソロモン王と結びつける19世紀の説。根拠がなく、学術的に否定されている。
- 参
フェニキア人・アラブ人建造説(否定)
地中海や中東から来た民族が築いたとする説。植民地支配の正当化に使われ、のちの発掘で否定された。
