▼丘に埋もれていた石の輪
ギョベクリ・テペは、トルコ語で「太鼓腹の丘」を意味する。1960年代の調査でも遺跡の存在は知られていたが、中世の墓地程度と見られていた。1990年代半ば、ドイツの考古学者クラウス・シュミットがここを訪れ、その本当の重要さに気づいて発掘を始めた。
掘り出されたのは、T字形の石灰岩の柱を円形に並べた巨大な囲いだった。中央の2本の柱は高さ5.5メートルに達するものもある。造られたのは紀元前9500年ごろ、土器もまだない新石器時代の初めとされる。
▼狩人たちが築いた?
柱にはキツネ、イノシシ、ヘビ、ハゲワシ、サソリなどが浮き彫りにされ、腕や手が刻まれて人の姿を表したような柱もある。これほどの建造物は、農耕で定住した人々にしか造れないと考えられてきたが、ここを築いたのは狩猟採集の人々だったとみられている。
シュミットは「まず神殿があり、その後に都市ができた」と述べ、宗教こそが人々を集め、農耕の始まりを促したのではないかと唱えた。この遺跡は人類史の常識を揺るがし、2018年にはユネスコの世界遺産に登録された。
▼ハゲワシの石は彗星を記録したか
「ハゲワシの石」と呼ばれる柱43号には、円盤を抱えたようなハゲワシや多くの動物が刻まれている。2017年、イギリスの研究者らは、この図柄を星座と見なし、紀元前1万1000年ごろの彗星の衝突と寒冷化を記録したものだとする説を発表した。
この説には考古学者から強い反論が出ており、定説にはなっていない。作家グラハム・ハンコックらは、ここに失われた超古代文明の名残を見ている。石の動物たちが本当は何を語っているのか、まだ誰にも分からない。
正体をめぐる諸説
- 壱
祭祀・集会の場説(有力)
周辺の狩猟採集民が集まり、儀式や宴を行った場所だとする説。近年は住居があった可能性も議論されている。
- 弐
彗星衝突の記録説
柱43号の図柄は、紀元前1万1000年ごろの彗星衝突を描いた天文記録だとする説。学界では支持が少ない。
- 参
超古代文明の遺産説
氷河期の終わりに滅びた高度な文明の生き残りが、知識を伝えるために築いたとする説。
