▼日本の漁師がつくった人魚
1822年、アメリカの船長サミュエル・バレット・イーズが、日本の船乗りからこの「人魚」を6000ドルで買ったとされる。別の話では、アメリカの捕鯨船の船長がオランダ領東インドのバタヴィアで5000ドルで買ったともいう。同じ1822年には、ロンドンのセント・ジェームズ通りのコーヒーハウスで見せ物にされた。
こうした人魚は、日本で商売として作られていたと考えられている。オランダ商館の倉庫番は、日本では30両ほどの品が、バタヴィアでは2000スペイン・ドルで売れることもあったと書き残している。
▼バーナムの宣伝作戦
1842年、ボストン博物館のモーゼス・キンボールがこの標本をニューヨークに持ち込み、興行師P・T・バーナムが週12ドル50セントで借りた。バーナムがこの年の1月1日に開いたアメリカ博物館では、人魚の巨大な看板が建物の正面の大半を覆った。
バーナムは、標本はいんちきだとする記事をわざと新聞に載せ、それを確かめようとする客をさらに呼び込んだという。
▼人魚のその後
アメリカ博物館は1865年7月13日の大火事で焼け落ちた。バーナムの人魚も、彼の収蔵品を襲った火事で失われたとみられている。
現在、ハーバード大学のピーボディ考古学・民族学博物館には、同じ種類の人魚の標本が収蔵されている。
正体をめぐる諸説
- 壱
日本の細工物説(有力)
猿などの上半身と魚の下半身をつなぎ合わせて作った、日本製の見せ物用の細工だとする見方。
- 弐
宣伝のための話題作り説
バーナムが本物か偽物かの論争そのものを宣伝に使い、客を集めたとする見方。
- 参
本物の人魚説
当時の宣伝で語られた、南洋で捕らえられた本物の人魚だとする説。
