▼金色の人の儀式
この地に暮らしたムイスカの人々は、金細工にすぐれていた。伝えられるところでは、新しい首長は全身に樹脂を塗ってその上から金粉をまぶし、筏に乗って湖の中ほどへ進み、黄金や宝物を湖に捧げたという。
この儀式を最もくわしく書き残したのは、1636年に年代記『エル・カルネロ』を著したフアン・ロドリゲス・フレイレである。彼は、グアタビタの最後の首長の甥から話を聞いたと記している。
▼湖の水を抜く
湖の底に黄金が眠ると信じたスペイン人たちは、何度も湖の水を抜こうとした。1580年ごろには、ボゴタの商人アントニオ・デ・セプルベダが湖の縁に大きな切れ込みを入れて水位を下げ、黄金を見つけてスペイン国王に送った。しかし切れ込みは崩れ、多くの働き手が命を落とした。
1900年前後にはイギリスの会社が湖の水をほとんど抜くことに成功したが、湖底の泥はすぐに固まり、得られた品はわずかだった。いまも湖の縁には、昔の切れ込みの跡が残っている。
▼黄金の筏
1969年、グアタビタ湖ではなく近くのパスカで、筏に乗った首長と従者たちをかたどった黄金の細工が見つかった。「ムイスカの筏」と呼ばれるこの品は、伝えられた儀式が実際にあったことを物語るものとされ、ボゴタの黄金博物館に収められている。
一方、「黄金の町」を探す遠征は、ついに何も見つけられなかった。エル・ドラードは、儀式の記憶と征服者たちの欲望とが重なって生まれた幻だったのである。
正体をめぐる諸説
- 壱
首長就任の儀式説(有力)
エル・ドラードは黄金の町ではなく、ムイスカの首長が湖で行った就任の儀式を指していたとする見方。
- 弐
湖底の財宝説
グアタビタ湖の底には、いまも大量の黄金が沈んだまま眠っているとする説。
- 参
失われた黄金都市説
南米の密林のどこかに、まだ見つかっていない黄金の都市が実在するとする説。
